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本ページに掲載する庄内神楽のものがたりについては、庄内神楽座長会より発行された
「庄内神楽 神代 岩戸神楽のすべて」に記載されている物語を引用し、記載しております。
天地に始まり神代七代の出現
天地物語は天と地が開かれた時に始まります。その頃は、天と地が透けあって、潮が流れているようでした。その真ん中あたりに高天原という神の国がありました。そこに始めである天御中主神と言われる神がおられました。この神は毎日毎日お祈りをして、ある時に天と地を造ろうとお考えになりました。そして次に、高御産巣神と神産巣神がお産まれになりました。 そして出来たばかりの大地は、油のようにどろどろしていましたが、その中に葦が生えるようにお産まれになった神は、宇摩志阿斯訶備比古遲神。次に天之常立神がお産まれになりました。高天原に出現されたこの五柱の神は、天神の中でも特別の神とされます。次に国之常立神・豊雲野神の二柱の神であり、これ迄の神々は独り神として身をお隠しになります。次に現れた神は、宇地比邇神・妹須比智邇・次に角杙神・妹活杙神。次に意富斗能地神・妹大斗乃弁神。次に於母陀流神・妹阿夜訶志古神、後に伊耶那岐神・妹伊邪那美神の神々がお産まれになりました。この神々は夫婦神である為、二柱の神を合わせて一代とします。国之常立神・豊雲野神は、独り神である為、それぞれ一代の神として合わせて七代の神が出現されました。これを神代七代と言います。 のちに伊耶那岐神と伊邪那美神は多くの神々と万物を産みだし、親神となられます。その始めが自転島(地球)であり、大八島国(日本)の誕生である。このあと天瓊矛に続きます。
物語のはじまりからおわりまで(演目の詳細)
神迎え
神楽を奉納するにあたり、舞殿に用意された社棚の中央に(みてぐら)を置き、色々の産物・魚介類・お酒等をお供えして、神をその社棚にお迎えする舞であります。神は最後の高座返しの神楽にて御神殿へお帰りになります。この舞は神楽を始める前の神事の一つであるといってもよいでしょう。
五方礼始
『すべての神楽の舞いは、この五方礼始が基本原点になっています。また神楽の中で一番難しいと言われているのもこの舞です。この五方礼始は、神楽を奉納するにあたり、東・西・南・北・中央の五方にお祈りをし、舞殿の五方を清める目的があります。東は木の神で青色・南は火の神で赤色・西は金の神で白色・北は水の神で黒色・中央は土の神で黄色で現わされています。一説によると、天地の創生と神々の生成を題材としたものであるとされる舞です。 一連の神楽の中の順序としては、天瓊矛と平国の間になるべきかも知れませんが、神楽の中では、最初に行われる舞であるために、一番に紹介します。
天瓊矛(随神)
『神代七代の神々の出現から、最後にお産まれになった神は、伊邪那岐・伊邪那美の神でした。二人の神は天御中主神に呼ばれ、天上高天原に二つとない宝物である、金色に輝く天の沼矛を授かり、次のように申し付けられました。「ふわふわとして流れている雲のような物を固めて、天と地を造りなさい」と。そこで二人の神は、高天原の端の方にある天の浮き橋と言われる所に立ち、二人で沼矛を雲のように流れる潮の中にいれ、大きくかき廻しました。矛先をもちあげると、落ちた雫が固まって自転島(地球)ができました。こうして天と地ができると二人の神はすぐに自転島におりて、天が落ちてこないように、大きな柱を立てました。この柱の事を天の御柱といいます。そして二人の神は結婚をしました。 そして次々に国を生みます。最初には、淡路島、次に四国、次に隠岐の島・次に九州・次に壱岐の島・次に対馬・次に佐渡ヶ島、そして本州が生まれました。この初めて生まれた八ツの島を大八島国と言います。その後も次々と島が生まれます。こうして日本が誕生しました。 最初に生まれた八つの島にちなみ、日本は大八島国とも言われます。 二人の神は、それからも、木の神・山の神・野の神・河の神・天鳥船神(通常チャリと呼ばれる神)など、三十五柱の神をお産みになり、最後に火の神加具都智神をお産みになった時、伊邪那美神は大やけどをして死んでしまいます。伊邪那岐神は大変悲しみ、手厚く葬られたそうです。
平国
『妻をなくした伊邪那岐命は、悲しさのあまり、激怒して最後に生まれた火の神(加具都智命)を切り殺してしまいます。この時に飛び散った血より多くの神々がお生れになりました。磐裂神・根裂神・磐筒男神・武甕槌神などの八柱の神々が、飛び散った血より生まれた神々です。この時に使われた剣の名を天之尾羽張・亦の名は、伊都之尾張・亦の名を伊都之尾張神といいます。この時に生まれた多くの神々の荒魂を鎮魂するのがこの舞です』 さて伊邪那岐命は、日が経つほどに死んだ妻に会いたくなり、ついに夜見の国(根の国)へ行くことにしました。夜見の国(根の国)に着いた伊邪那岐命は、そっと妻を呼び出して、私と帰って造りかけた国を一緒に造りあげましょうと頼みました。すると妻は、私は夜見の国で炊いた物を食べてしまったので身体が汚れているので帰れません、と言います。それでも伊邪那岐命が一緒に帰ろうと言うので、妻は、「それでは根の国の神に相談をしてきますから、あなたは決して中を覗いてはいけません」、そう言って中へ入っていきました。しかし、なかなか出て来ません。待ちくたびれた伊邪那岐命は、約束を破り、髪につけていた櫛の歯を折り、それに火を灯して中へ入ってみると、妻の姿は見るすべもなく、体にはいろいろな化け物が住みついていました。それを見た伊邪那岐命は、大慌てで逃げ出しました。するとその後を次々に色々な化け物が追いかけて来ました。ようやく、追ってきた化け物を振り払いました。ついには、妻が追いかけてきました。妻は、どうして約束を破ったかと言って追いかけてきます。伊邪那岐命は追いかけて来た妻を何とか振り払おうと、夜見の国と中津国の境である、よもつひら坂という所へ来て、大きな岩で道をふさいでしまいます。すると妻は大変怒って、貴方がそんな事をするなら、私は一日千人ずつをねじ殺すと言いますと、伊邪那岐命は、それでは私は一日千五百人の子供を産みますと言って、二人の神は最後の別れとなりました。 夜見の国からようやく逃げ帰った伊邪那岐命は、汚れた身体を浄めようと思い、日向のあはぎが原という所へやって来ました。そしてこの時に身に付けていた枝や着物・冠などから、次々とたくさんの神々が生まれて来ました。(上ツ瀬は速し、下ツ瀬は遅し、中ツ瀬において身をそそぐ)この時、体を洗うと水の中から、きれいな神、住吉大神(潮筒男命またの名を塩土神)が生まれました。そして次に左の目を洗うと光り輝く女神、天照大御神が生まれ、次に右目を洗うとお月様の光のような神、月読命が生まれ、次に鼻を洗うと、元気の良い神、建速須佐之男命が生まれました。この三人の神は兄弟神であります。そして、伊邪那岐命は天照大御神には、天上高天原を、月読命には、夜の国を、そして須佐之男命には、大海原を治める様にと申しつけました。
舞入
『三人の兄弟神にそれぞれの国を治める様に申しつけた伊邪那岐命は、最初にお造りになった自転島に永久にお隠れになりました。この舞いは、伊邪那岐命が自転島に永久に鎮まることを祝う舞です』 さて、天照大御神は高天原を、月読命は夜の国をそれぞれ治める事になりましたが、ただ須佐之男命だけは大海原を治めるのがいやで毎日泣いてばかりでした。ついには、あごひげが胸まで届いてしまうほどになっても、まだ泣いていたそうです。その為、顔はやけどをした様になり、その涙は草木を枯らすほどでした。あまりに泣くので、ある時父である伊邪那岐命は須佐之男命を呼び、訳を聞きました。すると、須佐之男命は、「私は大海原を治めるのは嫌いです。母のいる夜見の国へ行こうと思います。」と言うではありませんか。それを聞いた父神は、大変怒って須佐之男命を勘当してしまいます。
誓約
『父神に勘当された須佐之男命は、母のいる根の国へ行こうと決めました。そしてその前に、高天原にいる姉の天照大御神にお別れに行く事にしました。須佐之男命が高天原へ向って走る足音は、姉の所にも届くほどでした。天上から下を見た姉は、大海原を治めるのがいやな須佐之男命がこの高天原を奪い取りにやって来たと勘違いをします。そこで姉は、自分の姿を男の姿にかえて、両手首と両髪に、みすまるの玉をまき、弓を引き今か今かと須佐之男命を待ちかまえます。 そこへ須佐之男命がやってきます。天照大御神は、この国を奪いに来たのですかとたずねると、須佐之男命は、「私は決して汚い心で来たのではありません。清い心でやって来ました。母のいる根の国へ行こうと思い、その前に姉にお別れに来ました。」と言います。姉はそれを証明する事が出来ますかと尋ねました。すると須佐之男命は、貴女は天の神に、私は地の神にそれぞれお祈りをして子供を産んではどうでしょうと言います。姉はわかりましたと言い、二人の神は天の安河原と言われる所へ行きました。まず、それぞれの神々に誓いを立て、先に姉が須佐之男命の腰にさしてある剣をとり、膝の上で三ツ折りにして、天の真名井といわれる湖の水ですすぎ、口にいれてかみくだき、気合とともに吹き出すと、かわいい女神が三人生まれ、次に須佐之男命が、姉の左の髪につけているみすまるの玉を受け取り、同じように天の真名井の水ですすぎ、口にいれて噛みくだき、気合もろとも吹き出すと、光り輝やく玉のような、男の子、天忍穂耳命が生まれ、次に右の髪の玉・まつげにつけた玉・両手につけた玉からも次々と男の子が生まれ、合わせて五柱の神が生まれました。すると須佐之男命は勝手に、私が清い心でこの高天原へやって来たから、最初にかわいい女神が生まれたのだと言って、約束事 に勝ったと思いこみ、高天原へしばらくいる事となります』
綱之神(綱之武)
『約束事に勝ったと勘違いをしている須佐之男命は、もともと大海原を治める事に不満を持っており、田んぼの畔を掘りくずしたり、一度種を蒔いてある畑にまた上から別の種を八重に蒔いたり、またある時には、天照大御神が神に奉納する為に衣を織っている斎機屋の屋根裏より斑馬の皮を生はぎにして投げ入れたりしました。それに驚き慌てた織女は織機につまづき、それがお腹に刺さり死んでしまいます。それを知った八百萬の神々が衣を持って須佐之男命を縛り上げてしまいました』 さて、この所行に激怒した天照大御神は、おそろしい事だと言って天の岩屋へお隠れになられました。そうすると世の中は真暗闇になり、昼と夜の境もなくなり、八百萬の神々は困り果ててしまいます。
天の岩戸開(第1章)
そこで八百萬の神々は『高見産神の子供である思兼命という大変知恵のすぐれた神を中心にして、天の安河原に集まりその策を練ることにしました。まず常世の長鳴鳥を集めて一日中鳴かせます。次に天の安河原より、石を切り出して、玉の祖命に美しい玉をたくさん造らせてこれを磨き、ひもに連ねました。これを八坂にのまが玉といいます。次に天の香具山から鉄を掘り出し、鍛冶屋に大きな鏡を造らせ、それを八百萬の神々に磨かせ、光り輝く様にしました。これを八咫の鏡といいます』さて、ここからの続きのお話は、一旦「柴曳」「庭火」の舞に続きます。
柴曳
そして『思兼命は天津児屋根命と太玉命に、八咫の鏡と八坂のまが玉などを飾りつける為の真榊を取って来る様に申しつけると、二人の神は天の香山へ行き、真榊を根こそぎにして持ち帰ります。この舞いは、その真榊を根こそぎにするときの舞であります』
天の岩戸開(第2章)
『さて持ち帰った真榊の上の枝には八坂のまが玉、中の枝には八咫の鏡、下の枝には、木の皮で作った白布、麻でつくった青布を垂らし和幣と言われる物を作り飾りつけました。この和幣は天照大御神のお姿に似せた形でお作りになったのです。さてこれを太玉命が持ち岩屋の前に立ちました。そして、岩屋の横には手力男命という大変力持ちの神が隠れて立ちます。』
庭火
『そして岩戸の前を明るくするためにかがり火を焚きました。そこに天鈿女命というおたふくの様な顔をした神が桶をふせて、その上にあがり、右手には鈴、左手には香具山の小笹を持って面白おかしく歌い踊ります。この時焚かれたかがり火が、日本で最初に焚かれたものだといわれています。』
天の岩戸開(第3章)
『天鈿女命の面白おかしい舞いを見た八百萬の神々はいっせいに笑います。すると岩戸の中の天照大御神は、外は真暗闇のはずなのに、何故そんなに楽しいのですかと尋ねます。すると天鈿女命は、貴女よりも、もっと素晴らしい尊い神が現れたので皆楽しくて笑っているのです、と答えます。天照大御神は気になって外の様子を見ようと、岩戸を少し開きました。そこへ天津児屋根命と太玉命が、用意してあった榊の飾りを、天照大御神の前へつき出します。鏡を見たことのない天照大御神は、八咫の鏡に映った自分の姿を見て、別の神が現れたと勘違いをし、驚いてさらに少し戸を開くと、そこに手力男命が戸に飛びつき、戸を引きはなし投げ捨ててしまいます。 この時、戸の一つは伊勢の山田原に、一つは日向の檍原に飛んだと言われていますが、一説によると、山田原ではなく信州戸隠山に飛んだとも言われ、その事から、手力男命の別名を戸隠明神ともいわれています。 さて、手力男命は、天照大御神の御袖をとり外へおつれ出します。そこへ太玉命が天照大御神の後ろへすばやく行き、岩戸の前に尻久米縄をはり、二度と岩屋の中へはいりません様にとお願いをしました。』
神逐
『天照大御神にふたたび岩屋の外へ出て頂きましたが、須佐之男命の悪行を八百萬の神々は、許す事は出来ません。弓と美剣を持って須佐之男命を取り押さえ、手足の爪をぬき、ひげをそりおとして、持っている品物も没収し、千位置戸を背負わせ根の国へ行けと追放しました』
岩戸舞 さて須佐之男命が高天原より追放され、天照大御神も岩屋よりおいでになり、めでたい事だと言って祝いの舞が舞われました。その時の舞いがこの神楽の舞いです。この舞の後も次々と祝い舞として、次の神楽が舞われました。
神開
岩戸開きを祝い、天の安河原に集まった八百萬の神々が平和を誓い合う祝い舞
本剣(剣)
岩戸開きを祝い、剣を持って舞う祝い舞
天鹿児弓(武者)
岩戸開きを祝い、鹿を一撃で倒すという天鹿児弓と、天羽羽矢を持って舞う祝い舞
柴入(榊花)
岩戸開きを祝い、八百萬の神々が天香山の真榊と鈴を手にして舞う祝い舞
両種
天照大御神が再び岩屋の外にお出になられた事を祝うとともに、天照大御神が八百萬の神々に真弓と美剣を持たせ、邪神を鎮めこの国を平定するという舞です。 高天原を追放された、須佐之男命は現在の島根県横田町と鳥取県日南町に連らなる標高(一一四二.五m)の船通山という山に降り立ったと言われています。お腹をすかした須佐之男命には、誰も食べ物を与えません。こまり果てた須佐之男命は宇気母智神の所へ行き食べ物を頂こうと考えました。
五穀蒔(五穀舞)
宇気母智神の所へ着いた須佐之男命は、食べ物を頂きたいとお願いします。かわいそうに思った宇気母智神は、しばらく待って下さいといって奥へ入って行きました。お腹をすかして待ちきれない須佐之男命が中を覗いてみると、なんと宇気母智神は口や鼻・おへそ・尻などから色々の食べ物を出して膳を作っていました。そうして作った膳を出してきましたが、様子を見ていた須佐之男命は、こんな汚ない物を出して、と怒り、宇気母智神を切り殺してしまいます。それを高天原から見ていた天照大御神は大変怒りました。そして天大熊彦命を中津国へ遣り、宇気母智神の死を確認させました。宇気母智神はすでに死んでいて、口などから粟や穀物の種が、尻からは牛馬などが出て来ました。天大熊彦命は、この穀物の種などを高天原に持ち帰り天照大御神にさしあげました。そしてその種を八百萬の神々が天の挾田、長田に植えました。』
手撤米
天の挾田、長田に蒔かれた宇気母智神の所より持ち帰った米の種は、大変豊かに稔りました。この豊穣を祝い、米は天岩戸の前に奉納されました。その様子を表した舞いです。
八岐大蛇退治(八雲払い)
『須佐之男命は、船通山のふもとにある簸の川の川上に降り立ち、上流の方から箸が流れて来るのに気づきました。この川の奥の方にも人が住んでいると思い、さっそく奥の方へと足を踏みいれて行きますと、人の泣く声が聞こえて来ました。その方へと行ってみますと、足名槌・手名槌という老夫婦と櫛稲田姫という娘が泣いているのに出会います。須佐之男命は、どうしてお前たちは泣いているのだと尋ねます。するとおじいさんは、私には八人の娘がいましたが、年ごとに山の頂に住む八岐大蛇に飲まれ、残すところこの娘一人になりました。しかもこの娘も、今まさに飲まれようとしていますと答えました。そこで須佐之男命は、「お前達は、きれいな娘をもっている。私にくれないか」と申しますと、おじいさんは、「あなたは、どなたですか」と尋ねました。須佐之男命は、私は天上高天原の天照大御神の弟で建速須佐之男命であると申しました。おじいさんは、「高天原の神は、大変尊い神と聞いています。もし、あなたが高天原の神であるならば、かの山の大蛇を退治して我々親子を助けて下さるなら、この娘をさし上げましょう」と言いました。そこで須佐之男命はその準備を整えます。八おりの酒といって何回も醸した強い酒を八ツの樽にいれました。そして、櫛稲田姫の姿を櫛に変え、自分の髪にさして、大蛇が降りて来るのを待ちます。すると胴体が一つで頭と尾が八つに分かれた大蛇が降りてきました。そして、須佐之男命が用意していた、八おりの酒を飲み眠ってしまいます。その隙をみて須佐之男命は十つかの剣で大蛇を退治しました。そして最後に大蛇の尾の所を切り裂いた時、大蛇の体内から一本の剣が出て来ました。この剣を天群雲剣といいます。 そして須佐之男命は約束どおり櫛稲田姫を嫁にもらい、出雲の国の雲が沢山わき出る所に新居を(すがの宮という)建て仲良く暮したそうです。足名槌は須佐之男命の足となり手名槌は手となり使えたそうです。この時、須佐之男命は和歌を歌われました。 「八雲立つ、出雲八垣、妻ごみに、八重垣つくる、その八重垣を」 これが最初の和歌であるといわれ、須佐之男命は、和歌の先駆者としても拝められたそうです。 さてそのうち須佐之男命と櫛稲田姫の間に子供も生まれました。そしてしばらくして、須佐之男は、母のいる根の国へ行ったとのことです。 さて話は変わります。須佐之男命の血筋に大国主命という神がいます。大国主命は身体は大きく力持ちで大変優しい神でしたが、いつも兄弟神にいじめられていました。中でも稲羽の白兎のお話が有名です。現在の島根県の稲羽という所に八上姫という大変美しい姫が住んでいました。そして兄弟で八上姫のところへお見合いに行く事になります。しかし大国主命が先に行きつくと八上姫はきっと大国主の嫁になってしまうので、兄弟達は自分達の荷物を袋にいれて大国主に持たせ、自分達が先に着いてお見合いをしようとしたのです。その行く途中の出来事が稲羽の白兎のお話しですが、このお話は省略します。 さてつまり、大国主が袋を背負っているのは宝物ではなく、荷物なのでした。しかし八上姫は、やはり大国主命と結婚をしたいといいます。そこで帰る途中、兄弟達は色々な方法で大国主命を殺そうとします。何度も殺されそうになった大国主命は、根の国にいる須佐之男命に相談に行きました。するとそこに美しい須佐之男命の娘がいます。二人とも一目見ただけで結婚をしたいと思いました。須佐之男命は、大国主命が娘婿として勇気があるかを試すために、蛇のたくさんいる室にいれたりと、色々な方法で大国主命を試したのです。ある時には野原に矢をはなち、それを探して来いと言って探している間に周囲の草に火を放ちましたが、それでも大国主命は矢をもって立っていました。土の下に身を隠し無事だったのです。 これには須佐之男命もびっくりし、二人を家へつれて帰り昼寝をしてしまいます。すると大国主命は、須佐之男命の髪を軒に渡してある太る木にくくりつけ、入口には石を立てかけ外へ出られなくし須佐之男命の弓矢と、十つかの剣を取り逃げ出しました。気が付いた須佐之男命が追いかけて来ましたが、根の国と中津国の境であるよもつひら坂に来た時、その太刀と弓矢で兄弟神達を退治して国を治めよ、そして娘を嫁にして仲よく暮らせといいました。大国主命は須佐之男命のいうとおり、太刀と弓矢で兄弟神を退治し、兄弟の国も全部自分が治める事になりました。その後、大国主命は、神産巣日神の子供である少名毘古名神に出合います。この神は大変身体が小さく手のひらに乗る神です。しかし、その知恵はすばらしく、大国主命と仲良くなります。そして大国主命が国を治めるのに知恵をかします。しかし、この神は草にとまっている時、吹いてきた風に飛ばされどこかへ行ってしまわれました。これが大国主命が中津国を治める事になったお話しです。
返拝
それからしばらくして、大変長生きをされた須佐之男命は母のいる根の国より帰ってきました。
心化(五男三女)
さて、高天原では、誓約の時にお生まれになった、五男三女もすくすくと成長し、立派な青年・娘になりました。天照大御神と須佐之男命は、二人の勘違いから、仲の良い兄弟ではありませんでしたが、子供である私達五男三女はいつまでも仲良くしていきましょうと誓いをたてて舞われたものです。 天照大御神の長男であり、五男三女の長男である天忍穂耳命は立派な若者になりました。天照大御神は、御子を呼んで、天の穴から中津国を見て、「あの国は私の先祖の伊邪那岐命と伊邪那美命が造った国です。」といいます。すると御子はしばらく見ていましたが、中津国は何だか騒がしいと天照大御神に申し上げました。すると神々は困った事だと言い、天の安河原に集まり、高御産巣日神と天照大御神を中心にしてどうしたら良いか話し合います。天照大御神はこの中津国は、私の子供が治めることになっているのに、今は一体どうなっているのだろうと思い使者を送る事にしました。
返し矢(神使い)
天照大御神は、天苦比命を使者として中津国を治めている大国主命の所へやりました。しかし三年経っても帰って来ません。そこで次に天若日子命に天の弓と矢を持たせて使いにやりましたが、こちらも八年経っても帰って来ません。実はその時、天若日子命は大国主命の娘の下照姫と結婚をしていたのです。そして、のちにはこの国を譲ってもらおうと思う汚い心となっていたのです。 天照大御神は、今度は鳴き女という「きじ」を使いに出します。鳴き女は、天若日子命の家の庭にあるかえでの木に止まり、天照大御神の言葉を伝えます。すると天若日子命はうるさい鳥だといってきじを弓で射殺してしまいました。すると、その矢は鳴き女の身体を突きぬけて、高天原の高御産巣日神と天照大御神の前に落ちました。すると、「この血のついた矢は天若日子命のものだ」と言い、「もし天若日子命が清い心ならこの矢は当たらず、もし汚き心ならこの矢に当れ」と天の穴から矢を返します。すると矢は中津国へ飛んで行き天若日子命の胸に刺さり死んでしまいます。
国司(天皇位 天皇貴 髙見座)
さて次に、天照大御神は建御雷命を使者として行かせる事にしましたが、経津主命が出て来て、私は建御雷命と同様に勇気があるので一緒に行かせて欲しいと申し出ます。お許しが出た二人の神は、天鳥船命という神の背中に乗り、出雲の国で伊那佐の浜へ着きました。そして、その浜に剣を逆さに立て、その上にあぐらをかき、大国主命に、「この瑞穂の国は、天照大御神の子孫が治める事になっているので譲って下さい」と申します。すると大国主命は「私にも子供達がいますので、子供と相談をした後に譲るかどうか決めたいのですが、今二人とも出かけています。事代主命は御大崎で魚釣りをしています。」と答えると、天鳥船命は事代主命を迎えに出かけます。帰ってきた事代主命は、「高天原の神は、大変尊い神と聞いています。父のお考え通りにして下さい」と言って、乗っていた船を傾けて手を叩くと垣根が出来てその中へ姿をお隠しになりました。そして建御名方命も帰って来ました。建御名方命は建御雷命に抵抗しますが物の数ではありません。結局、「どうかこの国を天の神に差し上げて下さい」と言います。再度大国主命に問うと、「この国は天の神にさしあげましょう」と言って、国むけの矛を一緒にさし上げました。そして「私達は天照大御神の子孫を必ずお守りします。どうか私の隠れ住む立派な宮殿を造ってお祭りして下さい」と言って姿を消してしまいました。建御雷命と経津主命、天鳥船命は相談したのちに、出雲の国に立派な宮殿を建て手厚くお祭りしました。そして三人の神は、高天原へ帰り、無事に国譲りの相談が出来た事を天照大神に報告をしました。高天原では、天照大御神の御子が降臨する事で大変忙しくなって来ました。
魔払い
天の御子が降臨する前に中津国にはびこる邪神の神々を八百萬神々が天照大御神のおいいつけで真弓と美剣を持って平定する舞いです。
天孫降臨(降臨)
いよいよ天照大御神の御子が中津国を治める事になりました。しかし、あまりにも年月が過ぎた為、天照大御神の御子である天忍穂耳命は、自分の子どもである邇々芸命を降臨させたらどうですかと申し上げました。邇々芸命が立派な若者に成長していましたので、天照大御神はさっそく邇々芸命を呼び、中津国はあなたが言って治めなさいと申しました。 さて、邇々芸命が降りる前に先導する神が、通り道の下見に行きます。天之八岐という所にさしかかると、そこには大きな目をした鼻の長い、大変怖そうな神が立っていたのです。下見に行った神はびっくりして逃げ帰り、この事を報告すると次々に他の神も行って見ますが、皆恐ろしくて逃げ帰ります。すると天照大御神は、次に天鈿女命を呼んで貴女は女神ですが大変気の強い神なので、天八路岐 へ行ってどうしてそこに立っているか問うて来なさいと申しつけました。天鈿女命はさっそく出かけ、その神に「あなたはどうしてそこへ立っているのか」と問いました。その神は「私は猿田彦命と申します。天の神がこの道を降臨されると聞いて道案内をしようと思いお待ちしておりました。」と答えました。高天原へもどった天鈿女命はその事を天照大御神に伝え、いよいよ邇々芸命が降りる事になりました。 天照大御神は邇々芸命に、八咫鏡・八坂にのまが玉・草なぎの剣を渡し、八咫鏡は私と思い大切に祭りなさいと申しました。そして邇々芸命を先頭に、天鈿女命・思兼命・豊受大神・手力男命・石門別命、そして他にも多くの神々が同行しました。そして一行は雲をかきわけ現在の宮崎県日向の高千穂の峰、くるふし岳に降り立ち、南へと下り鹿児島の笠沙の崎へ着いたのです。その時、翁である住吉神が一行を待っていました。そしてどうかこの国にお留まりになって下さいと言い、邇々芸命はそこへ宮殿を建てる事にしたのです。
天之注連
『さて宮殿を建てる事になり、天の御子が住まれる為に東西南北・中央の五方の神にお祈りし浄め、土を固め宮殿が建てられました。この宮殿を笠沙の宮といいます。 この事から天之注連の神楽は神殿の新築の時に地固めの神楽として舞われた様であります。』
最近では、竹に上った荒神が餅をまく意味として、新築等で三日以内に雨が降らない時のため、つまり餅は雨の代わりにまかれ、「雨降って地固まる」という意味があると言われています。現在では住宅等の新築の時にも舞われています。
太平楽(泰平楽)
この舞いは、戸開きも終わり、天孫降臨も無事に終わり天下泰平を喜び祝い、楽しんで舞われた舞です。 宮殿に住まわれていた邇々芸命は、大山津見神の子供である木の花咲くや姫と結婚しました。そしてすぐに姫のお腹には子供が出来ました。すると邇々芸命は、そんなに早く子供が出来るのだろうかと疑います。それを残念に思った木の花咲くや姫は、「このお腹の子供は天の子なのだから、どんな乱暴な産み方をしても無事に産まれてくるはずです。」と言って産屋を造り、その中へ入り、入口を土で塗りつぶしてしまいます。そして、その産屋に火をつけてしまいました。すると、最初に火が少し燃え上がった時に火照命、次に火が大変勢い良くもえている時、火須勢理命、次に火が下火になった時に、火遠理命が生まれました。
貴見城(海幸彦・海幸彦 山幸彦)
さて、木の花咲くや姫から生まれた三兄弟は大きくなって、火照命は毎日海の漁へ、火遠理命は毎日山へ狩りに出かけて行きました。ある時、弟の火須勢理命は、自分も海の漁へ出てみたいと思い、兄に釣り道具を貸してくれる様お願いしましたが、許してもらえません。しかし、しばらくしてようやく道具を貸してもらいました。兄は山へ、弟は海へ出かけて行きましたが、結局魚は一匹も取れず、兄の大切にしていた釣り針まで魚に取られてなくしてしまいました。 火須勢理命は、自分の剣をつぶして五百本の針を造り兄に許してもらおうとしましたが、兄はだめだと許して暮れません。次に、千本の針を造り謝りましたが、やはりどうしても兄は許してくれません。火須勢理命が海辺で泣いていると、そこに現れたのは、翁である住吉神で、火須勢理命が訳を話すと、住吉神は、「竹かごの船を造り、それを粘土で塗りつぶし、この船に乗って行けば龍宮につきますよ。」と言って、その船を海へ押し出しました。龍宮へついた火須勢理命は、その井戸のそばにある桂の木に登り、住吉神に言われた通りに待っていました。 すると玉の様に美しい豊玉姫という娘が出て来て、姫の父である綿津見神の所へ通してもらいます。海の神は火須勢理命を見て、天の神の子であるとすぐにわかりました。そして丁寧に迎えてくれました。その後、火須勢理命は豊玉姫と結婚をします。 それから三年の月日が流れ、火須勢理命は兄の釣り針を探しに来た事を海の神に話します。すると海の神は魚を集め、釣り針を探すように申しつけます。 ようやく釣り針は見つかり、火須勢理命は兄の所へ帰る事になりました。海の神は、火須勢理命に二つの玉を差し出しました。「一つは潮満の玉で、この玉は水があふれる玉です。そしてもう一つの玉は潮干の玉と言って、水が乾上る玉です。あなたの兄が高い所に水田を作れば、あなたは低い所へ水田を作り潮干の玉を使い、兄が水田を低い所に作ればあなたは高い所に作り潮満の玉を出して洪水を起こしなさい。この玉を三年も使えば兄は貧乏になります。」そういって、海の神はワニに言いつけ、火須勢理命を送らせました。さて兄の所へ帰った火須勢理命は、海の神の言われた通りにしますと、兄は貧乏になりました。そして兵を集めて火須勢理命を攻めて来ましたが、潮満る玉 を出し、洪水をおこし、兵を流してしまいました。ついに兄は降参し家来となったそうです。 さて、龍宮に残した豊玉姫はお腹が大きくなり、天の子を海で産むわけにはいかないと言って、龍宮から大きな亀に乗ってやって来ました。そして、産ぶ屋 を慌てて作りましたが、屋根を葺き終わらないうちに豊玉姫は産ぶ屋へ入っていかれました。そして、中を決して覗いてはいけません。と言いましたが、火須勢理命は中を覗いてしまいます。その為、赤ちゃんを産み終えた豊玉姫は、生まれた子を衣に包んで火須勢理命に「私はもうお目にかかれません」と言って渡し、海へ帰って行きました。 この時に生まれた赤ちゃんは鵜の羽根でつくる屋根が間に合わぬうちに出来た子供なので鵜屋葺不合命と名づけられました。のちに母である豊玉姫が我が子を思い、龍宮から玉依姫という娘をそばに使えさせました。そして鵜屋葺不合命が大きくなったのち、二人は結婚をすることになりました。二人には子供が産まれ、初めに五瀬命、次に稲氷命、次に御毛沼命、最後に若御毛沼命の四人の男の子が産まれます。稲氷命は海の災いを鎮める為、母のいる海(龍宮)へ行きました。そして御毛沼命は海を渡って向うの国へ行ってしまわれます。 若御毛沼命(別名神倭彦命)は、荒れている国を平和な国に統一するにはどうしたら良いだろうと思い、住吉神に相談をします。すると、住吉神は、「東の方に大和の国という所があります。日本の真ん中にあたる所が大和だと言われています。そこに都を置けばきっと天の神の助けもあり、きっとうまくいき平和な国が出来るでしょう」と申されました。神倭彦命は、兄の五瀬命に相談すると、兄も一緒に大和の国へ行く事になりました。 二人の神は、多くの船を用意して、先頭の船に乗り込み、現在の豊後水道までやってきました。すると渦彦という漁師が現われ、水先案内をする事になりました。その後、船を進めながら九州の筑紫で一年、次に広島の安芸で七年、岡山の吉備で八年住まわれました。出発してから長い年月がたちましたが、二人の神はいよいよ大阪湾に向けて進み、淀川をのぼり白肩津という所に船をつけます。そして、ここからは山越えで大和に向うことになりました。ところが途中に長すね彦という者が兵を集めて待ちかまえていました。兄はその敵の矢をうけ怪我をされ、後に死んでしまいます。又、熊野の山中を通る時、熊におそわれ大変御苦労をされました。それを見ていた天の神は八咫烏を高天原から降ろしてくれました。そして日臣命が先頭に立ち、八咫烏が飛ぶ方向へと進み、奈良の宇陀というところに着きました。 また途中で土ぐもの攻撃にも合いましたが、それを退治し、最後に長すね彦を討つ事になりました。この時、長すね彦は神倭彦命が天の神の御子である事を知りますが、今さら後にはひけず意地を張ります。長すね彦の家来の饒速日命は戦いを止めようとしますが、長すね彦はどうしても言う事をききません。饒速日命は仕方なく主人である長すね彦を討ち、神倭彦命と五瀬命にわびをいれて来ました。そうして命はようやく大和に落ちつかれました。そして鳥見の山に天照大御神をお祭りしたのです。 そして命は神倭伊波礼彦と呼ばれ、日本で初代の天皇となり、後に神武天皇と呼ばれました。そして命は五十鈴姫を妃にし、姫もまた初代の皇后になりました。
高座返し(大神)
それから後に、大和のお社を伊勢の五十鈴川の川上に移し、大和の空いた所に中臣家が自分たちの氏神である建御雷命の神をお祭りしたのであります。それが春日大社です。つまり春日大社の大神とは、天照大御神の事ではなく、春日大明神の事です。そして、藤原不比等は、天皇の神を国の神としたのであります。つまり、最後に岩戸開きも天孫降臨も無事に終わり、天下泰平を祝い舞う社棚においでになった神にも、御神殿の方へお戻り頂くという舞です。 ここで天地に始まり神倭伊波礼彦が初代神武天皇となられる迄の民俗(神楽)神話を終ります。 神楽三十三番と言われますが三十三番にこだわっているのは九州地方だけで伊勢神楽として認められていたのは二十五~六番と言われています。後になって入れ神楽 として舞われた様です。その代表的な神楽が湯立であると思われます。
日割(庄内地区系のみ)
庄内神楽独特の神楽であり、島根神楽の五神と同じで能舞から入ってきた神楽です。一ヶ月を三十日と計算し一年を三百六十日とし、この三百六十日を五人の兄弟で分け合うお話です。まず春(東)三月九十日を太郎、夏(南)三月九十日を次郎、秋(西)三月九十日を三郎、冬(北)三月九十日を四郎と、それぞれすでに、天の神の惶根命(妹阿夜許志古泥命)より割り当えられています。しかし五郎王子だけありません。そこで末っ子の五郎王子は、「兄四人には四季の九十日を与え、私にはどうしてないのだ」と問うと、惶根命は、五郎王子は神の姿はしているが、神の心ではないと言って注連より外へ押し出してしまいます。すると五郎王子は大変悔しがり、ついには惶根命に神としての心をおそわり改心します。そこで四人の兄のそれぞれの九十日の中から土用の十八日を引きさり、春・夏・秋・冬の十八日をたしあわせて七十二日となりこれを五郎王子に分け与え、十八日を引かれた兄たちも七十二日となり、兄弟五人が平等に分け合い支配することになります。五郎王子は三ヶ月といったまとまった日はありませんが、一年間を通して幅広く中央を支配すると言う事になります。つまり、春夏秋冬を領地とみたて、五人の兄弟が領地争いをするお話です。それを天つ神が平等に分け合う舞であります。
裁判(くがたち)湯立・荒神・深場(くがたち)
この神楽は、名称や解説が地域により様々です。西暦三百年~七百年頃(奈良時代)まで行われていたと言われている裁判で、「くがたち」と言って熱湯に手を入れて人を裁いていました。それが取りやめられた後、鎌倉時代には神官等により神社の儀式となり、神楽を取り入れ現在の形になったと言われています。「付素伊命は湯立をなして、初湯を八百萬の神々に捧げ奉り、世人にも振る舞い給うた」と伝えられています。 裁判(くがたち)では、まず宣詞をあげ、それが終わるとテフリ笹を湯の中につけて次の歌を唄いながら湯をあたり一面に振り散らします。
一.湯を立てて神に初湯を参らせん 神きこしめせ 神きこしめせ
二.庭中に復釜据えて沸す湯に 我が立ちよれば 清水とならん 清水とならん
三.三ヶ月は豊葦原を照らす神 曇りなき世に 曇りなき世に
この湯をかけてもらうと魔除け、疾病除け、長寿になると言われ、皆この湯をかけて頂くのです。地域によっては、最後に荒神がおきを見物客に向けけちらす所もあります。ちなみに湯立荒神役の者は少なくとも一週間前から不浄をさけ、身を潔め湯立にそなえると言われています。 また二説によると、大和の国の磯域川の周辺で武内宿称之命と日美内宿称之命が御湯を沸かして、それに笹を束ねて御湯につけ、四方八方へと振り散らし「深湯 (くがたち)」の事故による火静める舞とも言われているようです。
綱伐
一般的には八雲払い(大蛇退治)の原型とも言われているこの舞ですが、この神楽は大蛇退治の中から一番作ったとも言われ、 大蛇退治の原型は八雲払いであり、綱伐の原型は別の物と思われます。その理由をいくつかあげてみます。
一、須佐之男命が出る演目はすべて面をつけているが、綱伐だけ面をつけないこと。(つまり神が違う事を意味する)
一、流派により異なるが、七唱楽で舞うこと。
一、八雲払いでは、俵から天群雲の剣を取り出すこと。
外にもたくさんの理由がありますが、先に進む事にしましょう。
ここで私(著者)の考えを説明します。
昔の演目に「家切」といって七唱楽で阿遅鉏髙彦根命が舞う神楽があります。これは天若日子が返し矢にあって死んだ時、高天原より父母が来て悲しみ、天若日子の妻である下照姫の兄の阿遅鉏髙彦根命がやって来ます。阿遅鉏髙彦根命は天若日子と瓜二つでした。父母は我が子と思い阿遅鉏髙彦根命にすがり、死なずして良かったと喜びます。 すると阿遅鉏髙彦根命は、死んだ者と間違えられたことを、汚らわしいと怒り、十つかの剣(八岐大蛇を退治した剣)を抜いて母屋(祭壇の事)を切った、とあります。つまりこの家切は「母屋切」であろうと思われます。昔、葬儀の時にお寺さんの御札 として現在でも使われている敷米料と言う言葉がありますが、昔のそれは俵に米を入れて祭壇の前に備えられたものでした。この事から、阿遅鉏髙彦根命が切ったのは供えられた俵と思われます。私たちが幼少の頃、綱切りの事を俵切と呼ばれていた事が記憶にあります。 神楽のお話の中で、祭壇を切る話では面白くなく、次第に「家切」が廃れ、綱伐と演目をかえ、解説も大蛇退治のお話しにして俵は富を表し、綱は災いを表す、すなわち綱を断ち切る事により、富の上に災いする物を切り払う、そこに五穀豊穣を祈願したと思われます。これを大蛇退治の神話まで発展させたのでしょう。 つまり物語を大蛇退治の原型の話にし、俵は水田(櫛稲田姫)であり綱は水路(山より何本もの川が流れ込み一本の川となり下流でまた何本にも分かれること、すなわち毛も頭も八ツに分かれた大蛇とみなす)つまり水田の上に水路と言う事は洪水を表わします。毎年洪水により水田がなくなる事を悲しみ、東西南北、中央の神にお祈りし綱(水路を切る)、その事は改修工事を意味し、ここに五穀豊穣、無病息災、家内安全、すべてを祈願したものと思われます。 これによって綱伐の神楽が一転して大衆に祈願神楽の代表として喜ばれる様になったのでしょう。昔は切ったワラは牛馬に与えると病気をしないとも言われ、皆で分け合っていました。 結論としては、綱伐という神楽は最初はなかった事だけは確かです。「家切」が変化し須佐之男命の子孫で大国主命の子供である阿遅鉏髙彦根命が八岐大蛇を退治した十つかの剣を持って綱を切り、原型ではなく祖先の須佐之男命の大蛇退治の再現に結びつけたと言った方が正しいのではないでしょうか。
地割(阿蘇野地区系のみ)
地方により色々の説がありますが、地割の名称は耕地の割り換えの事と言われています。 荒神である須佐之男命は大海原を治める神であると共に山の神でもあります。耕地は野山を切り開き造られる物であり、須佐之男命は杖(この杖に神としての神格があったと言われます)を持って全国を駆け廻った来訪の神として、また、神主(天津児屋根命)は氏人の代表として、この神楽の一番の見所である問答が行われます。つまり須佐之男命が神主と問答しながら耕地の分配をする事にあると思われます。 それが高千穂神楽では、かまど神の進出により原型が少しずつ変わり、現在では地割は、かまど祭りとなっています。大分の神楽では荒神が猿田彦命として、天孫降臨の時、天宇受女命 が天八路岐 にて猿田彦命と問答するさまの舞とされていますが少し意味がちがうと思われます。
布晒(綱の母・綱の波)
この神楽は、多くの演目の途中で一息つく、やすらぎの舞としていれられた舞であります。天八千々姫命を織姫として神衣を織らせ、それを良く洗い清める所へ道化神である天鳥船(鳥之石楠船)が出て来て、八千々姫のする様を真似したり邪魔をしたり、手伝ったりして面白おかしく舞うものです。
解説(神楽に出てくるむずかしい言葉の解説)
(一) 天の沼矛・・・高天原に二つとない宝物で金色に輝く槍の形をした矛
(二) 夜見国・・・死んだ者が行く国とされている場所
(三) 月読命・・・夜の国を治める神で、全国で四ヶ所に祭られ、その一つは大分市大字月形の月読神社である
(四) みすまるの玉・・・天下泰平、平和を願うための玉のこと
(五) 天忍穂耳命・・・天照大御神の長男となる神
(六) 常世の長鳴鳥・・・一日中きれいな声で鳴くと言われている鳥、つまり外が明るい事を示す意味である
(七) 八坂にのまが玉・・・平和を願うための玉(三種の神器の一つである)
(八) 八咫の鏡・・・天照大御神の姿を映す為に造られた鏡(三種の神器の一つである)
(九) 和幣・・・白布青布を垂して作られた、はかまの様な形をした物
(十) かがり火・・・岩戸の前を明るくするために焚かれた火の事で、かがりびとして最初に焚かれたと言われている
(十一) 尻久米縄・・・尻は、後の意味、久米は否定で、来るなの意味、つまり後に来るな、二度と岩屋に入るなの意味であり、日本で最初に張られた注連縄である。綱には紙垂(四垂・志手)と呼ばれる白い紙で作った御幣を垂らす
(十二) 千位置戸・・・罪けがれをはらうためと科せられた物で戸棚の様な形の物
(十三) 挾田・長田・・・天照大御神が八百万の神々に耕作させている田んぼの事
(十四) 十つかの剣・・・大人が十回握るほどの長さの剣の事
(十五) 天群雲剣・・・雲がたくさん湧き出る所に住む大蛇の腹より出てきた剣であるためにつけられた名前である(三種の神器の一つ)。後に草なぎの剣となる
(十六) 天之八岐・・・神楽の中に八という数字が多く出て来ますが「たくさん」「多く」との意味をもっている。つまり数多く別れた道の所という意味
(十七) 猿田彦命・・・前に立ちはだかる魔物を打ち払う力のある神、すなわち先導する神
(十八) 龍宮・・・まぶしく光り輝く宮、つまり貴見城の事である
(十九) 熊・・・実際の熊の事でなく、冷気、まやかしの様な物と言われる
(二十) テフリ笹・・・湯につけるため笹を束ねて作られた物
(二十一) 神格・・・神の位を示す事
以上が著書に綴れる民俗(神楽)神話のすべてです。日本で始めに歌われた神歌にて終ります。
八雲立つ 出雲八重垣 妻込に 八重垣作るその八重垣を